2024年に入ってから、「マルハラ」がテレビなどで話題になっています。
これは、SNS上での短文コミュニケーションにおいて、文末に句点(。)を使用されることで、文面から威圧感や怒られ感が残るという、10代~20代を中心とした若者からの訴えです。

「ハラスメント」という言葉がこんなことにも使われるようになったのか、と我々おじさん世代としては困惑してしまいます。
テレビ番組では街頭インタビューが取り上げられ、困惑する40代~60代の意見に続いて、10代~20代の若者からは「マルの代わりにビックリマーク(!)を使えばよい」という解決策が提示されていました。

本来、「ハラスメント」とは「本人が嫌と感じている」に加え、「周囲の人も『それは嫌がるよね』と共感されている」という要素が不可欠でした。
現代社会における価値観の多様化は、様々な「ハラスメント」を生み出し、その境界線は曖昧になりつつあります。

今後は、正当な「ハラスメント」と、話題性だけに乗っかった「ハラスメント」を区別していく必要があるのではないでしょうか。

 

ところで、「マルハラ」の話題の中で、おじさんの立場で率直に思うのは「若い人たちの意見に社会は引っ張られ形成されるのか?」ということです。
テレビのインタビューの中では「日本の文化が変わってしまう」「マルを使わないことになれば今の日本語は壊れる」という意見もありました。

古い文献をみると、室町時代くらいまではマルを使った文面はあまり出てきません。
古い短歌などではマルは出てきません。
マル(。)や点(、)が公文書などで公式に使用するようになったのは20世紀になってからのようです。

SNSなどで日本語を使って伝達しようとするのならば、「わかりやすさ」はとても大切な要素です。
「わかりやすさ」を助けるためにマル(。)や点(、)はとても有効な補助道具だと思いますし、使いやすいものは長く使われるものだと思います。

危機感を持つことは理解できますが、これはマルを使わない文章の作成が今後の日本文化の主流にはならないだろう、と思います。